
2025年01月24日
まゆ玉飾りとお汁粉作り♪
養蚕の盛んな群馬では、『たくさん繭がとれますように』とまゆ玉飾りをされていた方も多いかと思います。

もちろん松華でもお蚕をされていた方が多く、『昔はね、お蚕様なんていってね、自分達がひもじくてもお蚕様のご飯(桑の葉)だけはかかさず1日に5回もあげたんだよ』『食べてる時の音がすごくってね~お蚕は可愛いよお~』と皆さん、お蚕様の話題になると能弁です

寒風吹きすさぶ中、庭に出て枝ぶりのいい小枝を鋸で切る作業を男性利用者様が手伝ってくれます

やはり伝統行事は慣れた年配の方々にお任せしたほうがスムーズに物事が進みます。

上新粉をコネて皆さんで丸めていき・・・

ゆであがると、繭に見立てた繭玉がたくさん出来ました

今回は3色の繭玉をご用意し、形も完全な球型ではなく、本物の繭のようにほんのり面長です

完成した繭玉を先ほどの枝の先に刺していきます。

五穀豊穣や無病息災を願う縁起物なので、なるべくたくさんの方に刺して頂きました

最近はお米も野菜も値上がりがすごくて、リアルな気持ちで五穀豊穣を祈ってしまいました

作物が十分に収穫できて心配せずに食べられるってありがたいことだとしみじみ思います

食料の輸入のない時代は天候次第で自分達の食べられる量が大きく変わってしまうので、本当に死活問題でしたでしょうね。
改めて日々の食事を残さず美味しく頂きたいと思ってしまいました

あまった繭玉はお汁粉にして食べました

餡子の優しい甘さは想い出深く心の落ち着く味だといつも思います。私も歳を経るごとにアンコ好きな気持ちを募らせるようになってしまいました

2025年も安心してご飯を美味しく味わえる年にしていけるように邁進してまいります
もちろん松華でもお蚕をされていた方が多く、『昔はね、お蚕様なんていってね、自分達がひもじくてもお蚕様のご飯(桑の葉)だけはかかさず1日に5回もあげたんだよ』『食べてる時の音がすごくってね~お蚕は可愛いよお~』と皆さん、お蚕様の話題になると能弁です

寒風吹きすさぶ中、庭に出て枝ぶりのいい小枝を鋸で切る作業を男性利用者様が手伝ってくれます

やはり伝統行事は慣れた年配の方々にお任せしたほうがスムーズに物事が進みます。
上新粉をコネて皆さんで丸めていき・・・
ゆであがると、繭に見立てた繭玉がたくさん出来ました

今回は3色の繭玉をご用意し、形も完全な球型ではなく、本物の繭のようにほんのり面長です

完成した繭玉を先ほどの枝の先に刺していきます。
五穀豊穣や無病息災を願う縁起物なので、なるべくたくさんの方に刺して頂きました

最近はお米も野菜も値上がりがすごくて、リアルな気持ちで五穀豊穣を祈ってしまいました

作物が十分に収穫できて心配せずに食べられるってありがたいことだとしみじみ思います

食料の輸入のない時代は天候次第で自分達の食べられる量が大きく変わってしまうので、本当に死活問題でしたでしょうね。
改めて日々の食事を残さず美味しく頂きたいと思ってしまいました

あまった繭玉はお汁粉にして食べました

餡子の優しい甘さは想い出深く心の落ち着く味だといつも思います。私も歳を経るごとにアンコ好きな気持ちを募らせるようになってしまいました

2025年も安心してご飯を美味しく味わえる年にしていけるように邁進してまいります

2025年01月10日
年が明けまして・・・
早いもので今日で既に10日を迎え、「まだ10日?」と思うほど2025年も密度の濃い年になりそうな滑り出しです

それでも三が日は利用者の皆様も穏やかな年の始まりを過ごされたのはないかと感じています

駅伝を皆さんで応援したり歌番組を見たりお汁粉を食べたりしてゆっくりとした時間を過ごされていました

『なにか正月らしい遊びもしたいね!』の声に独楽回しやけん玉や福笑いやカルタ、お習字などをご用意して皆さんに選んで頂きました

思えば正月遊びって一人で楽しむというより皆で楽しむのに向いている遊びが多い気がしました。

お正月のように遠方の親戚も集まる機会にする遊びだから、『皆で賑やかに遊んだ』想い出が残っているのかもしれませんね。

思えば今の子どもはこうした遊びはしなくなりましたし、一人で液晶に向かっている時間が長くなり、廃れていく遊びかもしれないと思うと少し寂しくも感じます。

それでも今の小学校でも上毛カルタ大会や習字大会はあるようなので、残る伝統も大事にしていきたいところです

大人になって子どもの頃の遊びをしてみると別の角度から「この遊びの意味や意義」を捉えなおすようになり、また新しい発見がありますよね。

私も小学校の頃は習字が好きではなく、大人になった今でも字を丁寧に書く心がけが薄いですが、新年の初めに「書をしたためる」ことの意味合いを皆さんが書いている姿をみて思い返しました。

それは「正しく書ける」「上手に書ける」という観点ではなく、「心の所作」の表れでもあるのだなぁという実感です。

その方の普段のお言葉やお気持ちを思い返しながら、書かれた字を見直すと、また違った感慨深さがありますよね

長年廃れず残っていく文化には、時代が変われど大事にされる普遍性があるのだろうと思います。

松華には様々な年代の職員さんが働いてくれていて価値観や感性は大きな違いを感じる事もありますが、その一方でお互いがこれは大事と思える普遍性のある価値観もきちんと存在します。

世間的には「多様性疲れ」なんて言葉も聞かれますが、分断ではなく共存をしていくためには、そうした共感性のある価値観を大事にしていけたらと改めて感じました

それでも三が日は利用者の皆様も穏やかな年の始まりを過ごされたのはないかと感じています

駅伝を皆さんで応援したり歌番組を見たりお汁粉を食べたりしてゆっくりとした時間を過ごされていました

『なにか正月らしい遊びもしたいね!』の声に独楽回しやけん玉や福笑いやカルタ、お習字などをご用意して皆さんに選んで頂きました

思えば正月遊びって一人で楽しむというより皆で楽しむのに向いている遊びが多い気がしました。
お正月のように遠方の親戚も集まる機会にする遊びだから、『皆で賑やかに遊んだ』想い出が残っているのかもしれませんね。
思えば今の子どもはこうした遊びはしなくなりましたし、一人で液晶に向かっている時間が長くなり、廃れていく遊びかもしれないと思うと少し寂しくも感じます。
それでも今の小学校でも上毛カルタ大会や習字大会はあるようなので、残る伝統も大事にしていきたいところです

大人になって子どもの頃の遊びをしてみると別の角度から「この遊びの意味や意義」を捉えなおすようになり、また新しい発見がありますよね。
私も小学校の頃は習字が好きではなく、大人になった今でも字を丁寧に書く心がけが薄いですが、新年の初めに「書をしたためる」ことの意味合いを皆さんが書いている姿をみて思い返しました。
それは「正しく書ける」「上手に書ける」という観点ではなく、「心の所作」の表れでもあるのだなぁという実感です。
その方の普段のお言葉やお気持ちを思い返しながら、書かれた字を見直すと、また違った感慨深さがありますよね
長年廃れず残っていく文化には、時代が変われど大事にされる普遍性があるのだろうと思います。
松華には様々な年代の職員さんが働いてくれていて価値観や感性は大きな違いを感じる事もありますが、その一方でお互いがこれは大事と思える普遍性のある価値観もきちんと存在します。
世間的には「多様性疲れ」なんて言葉も聞かれますが、分断ではなく共存をしていくためには、そうした共感性のある価値観を大事にしていけたらと改めて感じました

2025年01月03日
明けましておめでとうございます
あっといまに年が明け、すでに1月3日ですが皆様いかがお過ごしでしょうか?

今年も元旦は晴天に恵まれ初日の出も綺麗に拝むことができました

早起きした方は東側の部屋にお邪魔して初日の出を拝ませて頂いていました

毎日顔を合わせているお日様にも、この日ばかりは皆様手を合わせていらっしゃいました

天気がいいので松華のすぐ側にある気佐石神社(けさいしじんじゃ)へ歩いて参拝に行きました。

妙義山を背景に立派な杉の木が何本もある神社ですが、やはり霊験あらたかな感じがして身が引き締まります

クリスマスが終わったころからコツコツと皆様、正月飾りも手作りして下さいました

年々様々な風物詩や風習が簡素化されていく時代の流れの中で、どこか年末っぽさや正月らしさが薄れてきている気がします。そうした文化を残していける心の余裕を持てる年でありたいと願っております。

介護関係者の間では長年にわたり2025年問題と言われ続けていたこともあり、私の中でも『ついに2025年が訪れたなぁ』というひそかな感慨があります。
今年も様々な出来事があるかと思いますが、未来への希望を失わず乗り越えていけたらと思っております
本年もよろしくお願い申し上げます。
今年も元旦は晴天に恵まれ初日の出も綺麗に拝むことができました

早起きした方は東側の部屋にお邪魔して初日の出を拝ませて頂いていました

毎日顔を合わせているお日様にも、この日ばかりは皆様手を合わせていらっしゃいました

天気がいいので松華のすぐ側にある気佐石神社(けさいしじんじゃ)へ歩いて参拝に行きました。
妙義山を背景に立派な杉の木が何本もある神社ですが、やはり霊験あらたかな感じがして身が引き締まります

クリスマスが終わったころからコツコツと皆様、正月飾りも手作りして下さいました

年々様々な風物詩や風習が簡素化されていく時代の流れの中で、どこか年末っぽさや正月らしさが薄れてきている気がします。そうした文化を残していける心の余裕を持てる年でありたいと願っております。
介護関係者の間では長年にわたり2025年問題と言われ続けていたこともあり、私の中でも『ついに2025年が訪れたなぁ』というひそかな感慨があります。
今年も様々な出来事があるかと思いますが、未来への希望を失わず乗り越えていけたらと思っております

本年もよろしくお願い申し上げます。